ドラマあるいは生について

昨晩のドラマの話。

松たか子主演の「広島~昭和20年8月6日~」

戦時中を生き抜き、原爆によって命を落とした3姉妹のドキュメンタリードラマ。

戦後 60年経ち、オレたちは戦争を知らない世代。今からは、家族を銃弾で殺されたり、愛する人を原爆で失った体験のない人達が、この日本を埋め尽くしていく。

そんな人達に「戦争は悲しいよ」とか「原爆は恐ろしいよ」とかいう言葉は届かないと思う。

約2時間のドラマだったけど、「原爆は絶対おとしちゃいけない」「戦争はダメ」という抽象的な言葉を、3人の女性の人生と命を具体的に見せられることで、心に突き立てられたような気がした。

原爆ドームの瓦礫の下敷きになって死んだ次女は、子どもを宿していた。命を落とさなければ翌年の昭和21年には元気な子どもが生まれていたはずで…。

そしてオレの父親も、昭和21年に生まれている。もしあの日、広島の天候が悪かったら、原爆は小倉に落とされていたかもしれない。

もしそうだったら、オレのおばあちゃんは閃光に体を焼かれていたかもしれない。オレのオヤジも生まれてこなかったかもしれない。姉たちも、甥や姪たちも、この世に生まれなかったかもしれない。

オレはいなかったかもしれない…。

今、生かされている事。それは生きたくても、生きる事のできなかった人達の上に成り立っているとも言える。

それを忘れてはいけない。だから、傲慢に生きてはいけない。いいかげんに今を過ごしてはいけない。人を殺す世の中にも、殺される世の中にも、もうしちゃいけない。

そういう事を、心の片隅に、常に置いておこう。

「生きる」を考える、そんな週明けの夜だった。

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